11 『ごめんなさい、くだらないことを言って。 まだ私の常識が邪魔をしてあなたのことを完全に異星人だと認めることは 難しいけれど、こうして私に話しかけてくれて慰めてくれる人の存在は 理解できるし、受け入れられる。それに今の私にはあなたの存在が必要。 行かないで……居なくならないで……』『分かった。君の混乱は分かるよ』『訊いてもい~い? もしも、家の中であなたを呼べばその……家の中にすぐに飛んで来れるの?』 『歩いたり、乗り物を使わないと距離を移動できない人間界では理解 できないだろうけど、僕たちはすぐに移動できるんだ。 だから君さえ望めば家にもすぐに行ける』『じゃあ、話を聞いてもらいたい時には、ここよりもっと近い近所の公園 から呼んでもいいかな? 家は散らかってたりすると、恥ずかし過ぎる から』 『プライベートゾーンだからね、ははっ。いいよ、公園で待ち合わせしよ う。そのあとで行きたい場所があれば一緒にそこに移動すればいいからね』 『綺羅々と一緒だと、私も瞬間移動できるんだ』 『そうさっ』『ありがと。綺羅々と出会えてなんだか心が軽くなった』『そっか、ならよかった』『次はもう少し遠くの緑の多い場所に行ければいいんじゃない? そしたら、人の目も気にせず過ごせるだろうから』『うん、私、今日帰ったら素敵な場所探しておくわ』『じゃあ、また。次はまた2~3日後に会おう。でも会いたくなれば明日 でも構わないよ。綺羅々、って呼べば来るからね』『うん、分かった』 しばらく私たちは静かにその場にいたけれど、周りの景色を見て 隣を見ると、すでに綺羅々はいなくなっていた。そっと帰って行ったみたいだった。 『ちゃんと呼べばほんとに来てくれるのかしら。 今起きたことが全部白昼夢で現実ではなかったら、私は別の悲しみに 暮れてしまいそうで早くもう一度綺羅々に会いたいと思った』私はその後もしばらく放心状態でそのままそこにいた。そして何故か知紘との夜のライトアップされた公園でのデートを 思い出してしまった。あの日、私は知紘から手を引き寄せられ抱きしめられて『好きだ……』 と言われてキスされたんだっけ。 こんなこと思い出したくないのに何であの日のことが浮かんだり するのだ
12 週末の華金、23:55。ルーティンのように知紘は自宅にはいない。 毎週末、いや毎夜、いや……いつもいつも、知紘と女、真知子とのことに 囚われて苦しい毎日を過ごしてきた。 そして知紘の浅はかさ思いやりのなさに失望し、無力感の波に襲われ、 涙が止まらなくなった夜もあった。 だけどこの夜の美鈴は違った。森林植物園で出会った綺羅々の心からのやさしい慰めで元気を取り戻した美鈴は、 その夜何度も彼の笑顔、やさし気な眼差し、氷のように冷え切った心に温もりを 取り戻してくれた声掛けなどを、繰り返し思い出すのだった。 そして、良い意味での高ぶった気持ち、心地よさ、そんな感情に浸った。いつもなら午前様になっても帰宅しない夫のことを思い煩いなかなか寝付けず悶々と過ごしていたのに、この夜は違った。 興奮してなかなか寝付けないのは同じだったが、それは不安や嫉妬からでは なく喜びから湧き上がる高揚感からのものだった。夫の知紘が真知子という女に溺れるようになってから、美鈴はひどく夫から 粗末に扱われていると感じるようになった。 『美鈴のことが好きなんだ。 絶対一生大切にするから俺を選んで……俺と結婚してほしい』とプロポーズしておきながらのこの仕打ち。 知紘という人間は口先だけの嘘つき野郎だったのだ。 信じて付いてきたのに。この手酷い裏切りは一体何なのか。――― 意識の変革 ―――知紘が田中真知子に心を持っていかれた日からじりじりと焦りのようなもの が美鈴の中に湧きあがり、どうにか、何とかしなくちゃと気持ちばかりが 先走り地に足のつかない日々を過ごしてきた。思った以上に自分は夫の言動にダメージを受けているようで。不意に涙が出てきたり、自身の無価値観に苛まれたり、というように 情緒不安定になってきているのが分かる。けれど……とうとう、ついに、明確に、胸の奥底から湧いてくるものが あった。それは、女磨きをして素敵な女性に変身したいという願い。 自分の見た目を変えることに合わせて自分の精神的な部分の安定を 取り戻したいという想い。それは、見た目も内面も充実させて女性らしさを内包した 素敵な女性になりたいというものだった。そして自分のことをもっと好きになってこれからの人生を 豊かなものにしたいのだ。
13 潜在意識の中に、夫の心を取り戻したい、振り向かせたいという気持ちが全くないかと問われれば、全くないとは言い切れないがしかし、第一の目的の意義は自分磨きをして自分の存在価値を高めることにある、と言えた。決して田中真知子という女と競うつもりなどは毛頭ない。既婚者である夫とほいほいっ、付き合えるような薄っぺらい女と 同じ土俵になんぞ、立ちたくもない。とにかく 自信をなくしたままじゃあ、いやなのだ。 女性としての生《性》を軽やかに楽しみたいと思う。 自分が自分を輝かせるのだ。 落ち込み暗い穴蔵のようなところに留まるような 可哀そうな自分にしてはいけない。 綺羅々に会ったことが切っ掛けで自分の成すべき方向性が見えてきた美鈴だった。 ◇ ◇ ◇ ◇ 翌日は土曜で、夫はやはり9時頃出かけて行った。先週までの美鈴なら、誰かと会うために出かけていく夫を恨めし気に見送る だけだったのだが、この日は自分も出かけようと思っていたため、いつもの ように夫に声を掛けることさえ忘れて、自分の部屋での化粧や衣装選びに 集中していた。 ******いつものように休日に妻を家に残し、意気揚々と真知子との待ち合わせ場所 へと出かけるため、家を出た知紘は無意識のうちに❔マークが脳内を駆け巡 った。『アッ……』そのものの正体にしばらくしてから気付いた。 美鈴の『いってらっしゃい』がなかったことに。 とうとう、あからさまに怒りを顕わに出し始めたのだろうか? 帰宅したら、確かめてみよう、そう思った。 まさかの、自分の存在が妻の中で小さくなってしまっているなどと…… スルーされたなどと思いもしない、おめでたい知紘だった。
14 それから1時間後、美鈴も自宅からそう遠くはないショッピングモールへと 軽やかな足取りで向かった。 独身の頃は常時塗っていたマニュキュア。 早速ピンクパールのマニュキュアをショッピングモールに入ってる専門店で購入。 行ったついでにファンデーションも今使っているのと同じメーカーのもので 少しグレードの高いのをGet. そしてネイルに合わせて顔にもパールを少し入れようと思い、 白いパールの粉を買ってみた。 ここ数年サンダルからも遠ざかっているので、好みのサンダルを 見つけたこともあり、それも買った。知紘のことではなくて、自分磨きのための買い物をすることに集中して 過ごした時間は、美鈴の気持ちを軽やかにした。買い物から帰ると、疲れたので横になり少し寝た。どうせ夕飯時に夫は帰ってこないだろうから、という気楽さがあり 起きたら22時にもなっていた。 モールで自分用に買ってきたバーガーとサラダにコーヒーを淹れて食べ、 しばらくファッション雑誌に目を通したあと、入浴を済ませた。 その間もずっと美鈴の頭の中にあったのは、どんな夏服を 買おうかということだった。 それ《自分磨きのための検討》は部屋に戻ったあとも延々続き、日曜はたくさんの客で混みやすいため、月曜に美容院へ行き髪型を変えようという試みだった。 節約して美容院へも最近は行ってなかったのだ。 スキンケア―のクリームやシャンプー&リンスもいいものに変えて、 スベスベお肌とキューティクルのできるヘアーにするべく頑張ろうと決めた。 こんなふうに自分磨きに集中していたため、午前様になっても帰らぬ 夫のことなどは気にならず、日が変わる頃本格的な就寝の体制に入った。 まどろみつつある美鈴の頭にあったのは、一通り頑張った成果が出た頃、 綺羅々に会いに行きたいな……ということだった。
15その後うっかり、いつものように夫を玄関ホールに立ち見送るということを せずに、出ていく夫を意識せず奥の部屋から『いってらっしゃい』と声掛けしてしまったことがあり、美鈴はあとでそのことに気付いた。 これまでずっと夫が出かけるときは必ず玄関ホールまで行き見送ってきた。 それは心の表れであった。大好きな夫だから、自然とそういうふるまいになっていたのだ。 最初の見送り損ねた日の翌日、夫からそのことについての非難はなかった。真知子のことで頭がいっぱいだから、妻の見送りなぞ必要ないし、 気にもしていないのだろう。……ということで、その後、夫が出掛けるときも帰宅したときも 美鈴は奥の部屋から声を掛けるようになった。そう、自分らしく無理なく本音で生きていこうと思ったのだ。しかしながら、心の片隅では『最近はお見送りがなくなって寂しいなぁ』くらい言ってくれれば、と思わなくもない自分もいた。 最近、金曜と土曜は必ずと言っていいほど知紘の帰宅が午前様になっている。なのに、今週の土曜は珍しくほろ酔い加減ではあるけれど 24時前に帰ってきた。 私はちょうどベッドに入り、掛け布団を掛けて寝るところだった。知紘が寝室に入り私のベッドに腰掛けて私の両肩に手を掛けて 『ただいまぁ~……。あっ、いい香り~だぁ~』 と言い抱きしめてこようとする気配を感じ、私は肩から彼の手を剥がし、 すぐさま声を掛けた。 「汗してるみたいだから、先にシャワーしたほうがいいわよ」「そだね、シャワー行ってくるー」 そう言い置き、彼は浴室へと向かった。 『いい香り……』分かったんだ。素敵な女性になるために行動したひとつのことはちゃんと効果があったのだ。香水ほど強烈な香りじゃないけど香りのついたボディクリーム、 効果ありだったことが確認できた。 私はベッドの上で『よっしゃぁ~』のパフォーマンスをしたあと すぐさま、頭から布団を被り眠ることにした。 うとうとしかけた頃、知紘が寝室に戻ってきた。『さっぱりしたぁ~』と言い、腰掛けたのが気配で分かる。少しして「美鈴……」と声を掛けられる。 そして掛け布団が捲られた。やばいっ、貞操の危機が《危機じゃんっ》……。 真知子とあんたを共有する趣味はないんだよっ。「う~ん、チ―ちゃん、私インフルエンザにかかってるかもしれ
16以前、職場にいる30代の既婚者に聞いた話では、酔っぱらって帰り、 寝ている奥さんの……寝込みを襲ったことがあると聞いたことがあるのだ が、知紘がそこまでの鬼畜じゃなくてよかった。ひとまず私の貞操は守られた。土曜日深夜のとっさのインフル発言。 本来なら夫の目を気にして日曜日はベッドから抜け出せないところだが……。知紘は相も変わらずトットコと、誰かさんとの逢瀬のために出掛けて行ったので、美鈴は大手を振って? いつも通り自由に自宅警備員を堪能することができた。自宅警備員と言っても家事のみの生活ではない。知紘の怪しい動きに振り回されて心乱され、ここのところはそれどころでは なかったのだが美鈴は元々芸大に進学して、就職活動でイラストレーターが 集まる会社に入り、結婚を機に退職し、現在ではフリーでクリエイターが 登録しているサイトで仕事を受けている。フリーなので月収はマチマチである。 フリーで10万円以上稼いだことは今のところない。そう、仕事のことをぼちぼち考えないとなぁ~と切実に思うのだった。今はいいけど、もしもシングルで生きていくとするなら イラストだけでは食べていけない。自分自身を輝かせたあとは、今後の生活設計も考えていかなければならない。知紘に離婚を言い出されてはいないが、この調子だと早晩 言い出してくると考えるのが妥当だろうから。
17 知紘はなんとなくだけど、近頃美鈴の纏う空気感が変わったように 思うのだった。何気に感じた違和感……なんだぁ? 真知子にばかり気を取られていたのですぐには分からずにいた。だが、いつもと何かが違っているような気がするのだ。そして、鈍感な自分はその違和感の正体である『いってらっしゃい』との 見送りが無くなったことに、何かがおかしいと感じた日から2日過ぎて 気が付いた。 美鈴は俺が会社に行くとき、これまでなら必ず玄関ホールまで出てきて 『いってらっしゃい』と言って見送くってくれていた。改めて翌日、意識して確認してみた。リビングから聞こえる『いってらっしゃい』の声掛けに、3日目の朝、 今度こそ違和感の正体にはっきりと気付いた。妻が見送りに出てこなくなったことに。 今朝の『いってらっしゃい』の声は明るいものだったが、今まで 自分に掛けられていたような愛の籠ったものではなかった。それとともに、よくよく振り返ってみれば昨夜の夕飯の献立も 今朝の朝食の中身も、心が籠ってないように感じられるものだった。いつもの手作りだったはずのサバの味噌煮は、シンクに缶詰の缶が 転がっていて……なんとサバ味噌煮の缶だった。なんだかいつもと少し旨味がちがうなぁ~などと思っていたらこ のザマだった。昨夜の味噌汁ももしかするとインスタントだったかもしれない。 朝、今まで目にしたことのないインスタントみそ汁の袋が置いてあったから。 知紘がそういったことに気付いた日から以後、昔のように手作りされた献立は ほぼほぼ食卓に上がることはなくなってしまった。
18 美鈴より5才ほど若い田中真知子に夢中で何も見えてなかった知紘が、 ここにきてようやく妻の言動に変化がみられることに気付いた頃…… 美鈴は1年前に会ったきりの高校時代の友人、原口絵里に会っていた。現在美鈴も絵里も29才。絵里は今も独身で、26才~28才までの2年間一つ年下の男性と 付き合っていた。 相手の男性は頭のよい穏やかな人だと話してくれたことがある。28才になってから絵里は、その彼に何度か30才になるまでには子供が ほしいなどと、結婚を促すような話をほのめかしてたりしていたのだが、 彼からはその都度結婚話をはぐらかされ、結婚話は頓挫しているのだと…… 昨年会った時に、美鈴はここまでの話を聞いていた。 自分は絵里が苦悩していた頃、結婚してからずっとラブラブの知紘との 幸せな生活に浸っていて、今一つ気の毒だとは思うものの、彼女の件 《不幸話》に対して他人事でしかなかった。 その後、絵里の婚活はどうなっているのだろう。恋人と破局したとは聞いていないので、おそらく結婚の話をひとまず 先延ばしにして付き合っているのだろう。 絵里の恋人との結婚について、そんなふうに考えつつ、あぁ~私は前回絵里と 会った時からなんて自分の生活が180度変わってしまったのだろうと思うに つけ、去年の12月に戻りたいと思ってしまうのだった。 今日は絵里の恋人との話を聞いたあとで、少しは自分の痛い話も聞いて もらおうかな、などと思いながら美鈴は待ち合わせ場所に向かった。 絵里とは行きつけのカフェで15時から待ち合わせをした。 私のほうが先に着き、席を取り待っていた。 スマホでYoutubeの画面の中の文字を追いながら時々、入り口方向に 目を向けまだ絵里が来てないことを確認。 そのあとも何度か入り口方向を見てYoutubeの文字に目を落とす。そしてまた入り口に……と顔を上げると、目の前に笑顔の絵里の姿があった。
93 「振られたな……」奈羅のことが好きだったと告白したのに、そこは完全スルーされ稀良は 落ち込んだ。 しばらく気持ちを落ち着けるために部屋に留まったが、そのあと奈羅に 続いて稀良も部屋を後にした。 ◇ ◇ ◇ ◇稀良には翌日からまた、研究漬けの日々が待っていた。 一日を終え、働き疲れ軽い疲労を抱えた稀良が白衣を脱ぎ捨ててドームの 長い廊下を歩いていると、顔馴染の摩弥《♀》に声を掛けられた。「調子はどう? なんかオーラが暗いよね」「分かってるなら訊くな」「落ち込まない、落ち込まない。今度あたしがデートしたげるからさ」「あー、ありがとさん」 「何奢ってもらうか考えとく」「おう」 軽い遣り取りをしているうちに2人はドームの外に出ていた。前方には彼ら2人の位置から5・6m先に奈羅が立っていて、明らかに 稀良を待っていたふうで、稀良に視線を向けているのが見てとれた。 「あらあら、もしかしてあの人が落ち込んでる原因? じゃぁまっ、あたしはお邪魔虫にならないよう消えるわ。またねー」「あぁ、また」 稀良に手を振り離れて行く女と稀良を、奈羅は目をそらさずじっと 見つめていた。 そんな奈羅の元へ稀良が歩いて来て声を掛ける。 「俺のこと、待ってた?」「うん……」 「フ~ン。それじゃあさ、これからデートでもする?」「うん」らしくなく、乙女のように俯いて奈羅が答えた。ふたりは肩を並べ夕暮れの中、恋人たちや友達同士と、人々が賑わう街中へと 消えて行った。 ****綺羅々の懸念していたことは現実となり、奈羅に復讐するはずが何たること……。 綺羅々は稀良と奈羅の恋のキューピットになってしまったのだった。 ―――― お ―― し ―― ま ―― い ――――
92 「おねがい、ほしいの……」この短いダイアローグ《DIALOGUE》が二人の合意となった。たわわでまだ瑞々しい魅力的な乳房にはただの一度も触れないまま、尻フェチの稀良は奈羅と結合に至る。ここで稀良は綺羅々のまま退場するのがいいだろうと考え、しばらくの間、彼女との快感の余韻に浸り、そのあと身体から離れようとした。だが、奈羅の動きの方が早かった。くるりと身体をを反転させたかとおもうと稀良を下にして、彼にキスの雨を降らせ始めたのだった。その内、稀良の胸や腹にもやさしい愛撫をしかけてきた。それでまたまた稀良のモノに元気が漲り《戻り》、今度は正常位でもう一戦、彼らは本能のまま快楽の中へと身を投じていった。大好きで長い間片想いをしてきた綺羅々と二度も想いを交わすことができた奈羅は幸せだった。「綺羅々、ずっと好きだった。だから、今あなたと一緒にいるのがまだ夢みたいよ」奈羅は自分の告白に無言のままでいる隣に横たわる男に視線をやる。男はベッドの上、上半身を起こした。その髪型とシルエットから奈羅はその人物が綺羅々でないことを悟り、愕然とする。「残念だけど、俺は綺羅々じゃない」「どうして?」「言っとくけど君がしてほしいって、ほしがったんだからね。そこははっきりさせとく。俺は前から奈羅のことが好きだったからうれしかったよ。俺たち体の相性もいいみたいだし、付き合わない?」頭の中真っ白で混乱しかない奈羅は、素早く下着を付け服を着る。稀良も話しかけながら帰り支度をした。互いが衣類を身に着けたあとで、奈羅はもう一度稀良に詰問した。確かに自分は綺羅々と一緒にこの部屋へ入ったはずなのに。いくら問い詰めても綺羅々の方にどうしても帰らないといけない用事があったため、綺羅々が|自分《奈羅》のことを稀良に託して先に帰ったのだと言う。自分は酔っぱらってはいたけれど、しばらくシャワーに入るという話もしていて、絶対当初この部屋にいたのは綺羅々だったはず。だけど、酔っていただけに100%の自信が持てない自分がいた。よもや、自分がした同じような手口で復讐されるなどと思いつきもしなかった奈羅は、綺羅々を責めるという発想は出てこなかった。このまま稀良といても埒があかないと考えた奈羅は、部屋に稀良を残したまま部屋を後にした。
91 あまりの気持ち良さに奈羅は現世からどこか別の所へとしばらくの間、 意識を飛ばしてしまっていた。 意識が戻ったのは身体に別の快感を覚えたからだった。この時はまだうつ伏せ寝のままだったのだが、首筋から両肩、背中、腰と その辺りを行きつ戻りつ絶妙な力加減でマッサージを施していたはずの手の 動きに変化が あり、眠たくなるような心地良さから肉体的快感、性的感覚 を伴うものへと変わっていったのである。 奈羅は今の状況に歓喜した。ずっと綺羅々と性的関係になりステディな関係になりたいと思っていたからだ。 気付くと先程まで腰から下を纏っていたバスタオルが取り払われていた。綺羅々とバトンタッチした稀良が、しばらくの間は綺羅々と同じように マッサージしていたのだが、どうしてもバスタオルの下にある奈羅の下半身 を見てみたいという欲求に逆らえず、早々にバスタオルを取っ払って しまったのだ。 目の前に現れた形の良いぷるるんとした双丘に目を奪われ、 稀良は一瞬固まってしまった。 尻に釘付けになっている眼球に身体中の熱い血液が集中し 漲ってくるのが分かった。 もう今や、稀良の暴走しようとする勢いは理性では止められないほどに 高まっていて、手は豊満な美しい双丘を這っていた。 しばらく撫でまわしたあと、できるなら最初から触れてみたかった双丘の なだらかな斜面を下りきった所にある秘密の場所へと指を滑り込ませてい った。そして指の腹で秘所の周辺を撫で愛でていった。その時、奈羅の喘ぐような切ない吐息が漏れるのを稀良は 聞き逃さなかった。急いで稀良は身に纏っていた衣類を脱ぎ捨てマッパとなり、彼女の 上《背中》へと胸、腹とそれぞれをぴったりとくっつけた。そして首筋から肩、背中へと愛し気に愛撫を施していった。そして身体のあちこちに触れながら、一番施したかった場所へと口元を 近付けた。そこは双丘にある割れ目の根本であり、ぎゅっと両手で広げたかと思うと、 そこから舌先で秘所を弄んだ。すると、それに比例して奈羅の喘ぎ声が途切れることなく続いた。一応、稀良はジェントルマンなのでレイプ魔のようなことはしない。そんな稀良は奈羅の耳元で囁く。「していい?」すると奈羅が答えた。
90 (最終話-番外編へと続く)「シャワー終わったよ。どう、君もシャワー行けそう? それともこのまま朝までゆっくり寝とく?」 「私も行くわ。折角綺羅々との時間ができたんだもの。 朝までただ寝てるなんて有り得ない。待って、私もシャワー浴びてくる」 「急がなくていいよ。ゆっくりしておいで」 ◇ ◇ ◇ ◇「お待たせ……」「こっちに来て」俺はまだ足元のふらついている奈羅を抱き寄せる。 彼女の力が6割方抜けた感じだ。「まだ体がシャンとしてないだろ? うつ伏せにそのまま横になって。 マッサージして身体をほぐしてあげるから」「ありがと。綺羅々ってやさしいんだね」 自分がコナを掛けても冷たい反応しか返してこなかった綺羅々が部屋を とってくれて、その上抱かれる前にマッサージまでしてくれるだなんて 奈羅は幸せ過ぎて夢心地だった。 今夜のひと時が終わってもまだまだこの先も綺羅々との幸せな時間があり、 2人の未来があるのだ。 この時、奈羅は女の幸せを存分に味わっていた。 それを知ってか知らでか、綺羅々の手によって部屋の明かりが最小限に 落とされ、濃密な部屋の中、淫猥な空気が流れ始めるのだった。綺羅々は奈羅の巻かれただけのバスタオルを背中越しに腰の辺りまで ずり落とし、丁寧なマッサージを施し始めた。そして15分経った頃、後ろに控えていた稀良と絶妙なタイミングで 入れ替わった。相手は酔っている上にマッサージの施術で全く気付いていないようである。綺羅々は稀良に親指を立て、ゆっくりと静かにその場から立ち去った。 『くだらない方法だけど、仇はとったよ薔薇』 綺羅々は今いるラボ《研究所》は辞めて別の場所を探すつもりでいた。 心機一転、研究もプライベートも一から立て直そう。そう心に誓い、いろいろあったハプニングに別れを告げ、 夜明け前の人通りの少ない静謐な空気の中へと溶け込んでいった。
89 「わぁ~、あたし、どうしよう。酔っぱらってきちゃったー。 もう飲めないよ。私の代わりに綺羅々飲んで」 「はいはい、何言っちゃってるんだぁ~。天下の奈羅様が。 もっと飲めるだろ? はーい、どんどんいっちゃって」 「きついって」 そう言いながら俺がコップに酒を注ぐと奈羅は上目使いに俺のことを 見つめて、グイっと酒をあおった。 『いいぞー、その調子だ。ドンドンいけー。何も考えずガンガン飲めー』 見ていてもかなり酔っているのが分かる頃、俺は悲し気に言った。 「俺、薔薇のことが好きだったんだよね」「ん? 薔薇は……だけど薔薇はいなくなっちゃったんでしょ。 もう忘れなよ。あたしが慰めたげるからさ」 「そうだよね。ありがとーね、奈羅」「ふふん、どういたしまして」 『もうフラフラだな、コイツ』 「かなり酔ってるみたいだし、どこかで今夜は泊まって明日帰るとしますか」「はーい、さんせーい」 会計を済ませ予めとっておいたアンモデーション《宿泊施設》の 505号室に入室した。 入室すると同時に彼女はトイレに駆け込んだ。トイレの隣にある浴室を開けて確認すると稀良がちゃんと予定通り 待機していた。俺たちは改めてアイコンタクトを交わす。 「ごめんなさい、飲み過ぎたみたい。 でも、少しだけ横になったら大丈夫だと思うのよ」 「OK.じゃあその間、俺シャワーしとくよ。お先に」 俺は奈羅がベッドに横になるのを確認し、シャワールームに向かった。 実際にシャワーを浴びるのは稀良の方だ。 その間、俺はシャワールームの前で待つ。シャワーの音が止まるのを合図に上着をドア横のハンガーに掛け、 奈羅の横たわるベッドの側まで行く。
88 ―――――――― 攻略《罠》―――――――――俺はラボ内で奈羅を見つけ、飲みに行かないかと誘った。俺が真実を知っていて彼女を恨んでいるなんて知らない奈羅は、ノコノコとパブに1人でやって来た。「綺羅々が誘ってくれるなんて、あたしびっくりしちゃった。うれしー」「久しぶりだよね。あれから半年振りくらいかな。あんなことがあったのに俺、冷た過ぎたかも。何となく気になって連絡してみた。元気だった? もういいヤツ《彼》できた?」「う~ん、男友達は何人かできたけど、彼氏はまだかな」「じゃあ俺と酒飲んでも大丈夫かな」「勿論、誘ってくれてうれしかったわ」薔薇に酷い仕打ちをして悲しませた女が目の前にいる。俺は実りそうだった恋をこの女の罠でぶち壊された。今に見てろ! 俺の誘いをすっかり俺からの好意だと思い込んでいるこの勘違い女を驚かせてやろう。こんな女のこと……少しは驚くかもしれないが、さてどうだろうな。しばらくすれば落ち着きを取り戻し案外楽しむ感覚になるだけかもしれない。だが、俺に嵌められたかもしれないことはいつまでもこの女の心に残るだろ? それだけでもいいさ、何もしないよりは。つまらないことをしようとしている自覚は大いにある。俺は話題が途切れないようポツポツとだが奈羅に話し掛け、時間をかけた。何のって? 勿論、酒をどんどん勧めて酔い潰すためさ。
87その次にきた波が俺を襲う。 「稀良《ケラ》、俺は奈羅にお前を勧めて紹介できるほど親しくはない けど、お前の気持ちを成就させるための協力はできるかもしれない。 少々荒療治かもしれんが……」「どんな?」『――――――――――――――――――――』 あとは知らん、野となれ山となれ戦法だな。少々強硬手段だが上手くいくかも……もしくはいかないかも。 「いや、そんな強硬路線じゃなくてまずはデートに誘いたいっていうか、 交際の申し込みをだな……」 「俺だって親しくないんだから自分のことならいざ知らずお前の代弁とか 無理……」チャラ男のくせに目の前の男は度胸がなさそうだ。 「こうすればいいじゃないか。イタす前に了解取れば。 『いいのか?ってさ』 録音でもしとけば証拠になるだろ? それを聞けば彼女だってお前を責められないだろうし、ある意味合意 なんだからお前だって自責の念にかられることもないだろ? そのあとなら一度や二度断られてもアプローチしやすいだろ?」 「だけど一度パブで同席しただけの俺に一緒にその……部屋まで付いてきて くれるかな。自信ない」 「そこは大丈夫。部屋までは俺が連れてく。 そこのところで協力できるからこその俺の提案、この案はね」 「親しくないと言いながらそこは自信があるって……えっ? そういうこと?」 「はっ?」「彼女、お前とならアンモデーション《宿泊施設》に簡単に付いて来るって こと?」「う~ん、どうだろう簡単ではないかも。五分五分だな」 「ちょっ……ちょっと待ってくれ。 そういうことなら俺の出るまくねえじゃん」「いやいや、出てくれよ頼むよ、ぜひとも。俺、実は彼女から同じようなことされてさ、心臓止まりそうになったこと あるんだよ。だからお前の話聞いてリベンジしたくなったんだよなー。 俺もヤツ《奈羅》の心臓止めたいんだよっ。 そのせいで好きな彼女に失恋した」「恨んでるんだー」 「あーぁ、恨んでるね。 本当なら彼女Loveのお前じゃなくてどこぞの荒くれどもにその役を 任せたいくらい気分なんだよ」「あー、その役どうかどうか荒くれどもじゃなくて、俺に、この俺に してくだせー、綺羅々様」 今回のシナリオは前から考えていたわけじゃない。薔薇を失った絶望感が大き過ぎて、奈羅への復讐
86 あの日、どういうことで奈羅に付いて行ったのか? アンモデーション《宿泊施設》の同じ部屋で、まるで2人の間に何かあったかのような怪しい雰囲気の映像が無断で撮られ薔薇に送り付けられていたわけで、明らかに確信犯的犯行と思わざるを得ない。薔薇が地球上での生が終わるのを待ち、ようやく元の同じ場所同じ時間軸に連れ戻せると期待して次元と時空の狭間で待ち受け、そして望み通り薔薇を見つけることができたのに……行き違いがあったとはいえ金星でお互いが両片想いだったこともようやく確認し合えたというのに……なんと薔薇には自分との前世よりももっと遥か彼方より契りを交わしていた愛しき男がいたというではないか。探して追いかけて待って待ち続けた結果が、予想もしてなかった結果に綺羅々は男泣きをした。そして絶望に襲われた時、綺羅々の胸に憎悪とともに仄暗い感情が芽生えた。 ◇ ◇ ◇ ◇綺羅々は薔薇が金星からいなくなったしまった日から、地球上の時間軸で計るなら半年しか経っていないところへと戻った。バーの片隅で酒を飲んでいるところへ見知ったヤツ、稀良《ケラ》が隣に座った。久しぶりだな綺羅々。最近見かけなかったけど元気だった?……ってあんまり元気そうじゃないな。別の日にしたほうがいいかな。「いや、構わないさ。で、何?」「奈羅と少しくらい交流あったりする?」「あったらどうすんの?」「取り持ってもらえないかと思ってさ」腸煮えくりかえるほどの名前を耳にし、思わず綺羅々は平常心を失くすところだった。「で、いつから? 彼女と同じラボ《研究室》になって1年弱だろ」「いやさぁ、それがつい最近深夜に連れとパブに繰り出したらちょうど奈羅も友達と来ていて明け方まで相席して盛り上がったっていうか」「ふーん、それで?」「なんか、いいなぁ~って思ってさ。ただ何となく素面で誘うのって苦手なんだよな」「話が見えない……。俺に相談? 何の?」『交流あったりする?』の質問にあるともないとも答えられるはずもない綺羅々は、相手の意図するところを探ってみる。「あれから気になって、奈羅のこと」目の前のチャラ男はらしくない発言をする。目の下と首筋がほんのりと赤いじゃないか。本気なのか? それにしても奈羅の二文字を聞かされた俺はというと、吐き気がし
85「だけど、一緒には行けない。私ね、地球に産まれて永遠のパートナーがいることを知ったの。その人《夫》と長い長い気の遠くなるくらい長い時を経てまた巡り逢えて、その夫だった圭司さんが迎えに来ることになってるの。彼がね、今際の際『この世とあの世の狭間に行くことができたらそこで待っててほしい。必ず迎えに行くから』って言ったの。だから、私はここでずっと彼を待ってなきゃいけないの。綺羅々、私のことは忘れていい女性《ひと》見つけて」お互いの行き違いのあった気持ち、そして美鈴とは両片想いだったことの確認もできた。だけど、自分との出会いのあとで永遠のパートナーに出会ったという。このことが綺羅々にとっては、返す返すも悔しいことだった。綺羅々は思わず薔薇の腕を取り、再度自分の気持ちを伝えた。「僕との金星での一生を終えてからその人とまた再会すればいいんじゃない? その人はまた少しくらいなら待っててくれそうじゃない?」そう薔薇の気持ちに揺さぶりをかけてみるも彼女は首を縦に振らない。綺羅々が彼女のことを想い切れずに腕を放さないで佇んでいると……。1人の男《根本圭司》が薔薇の腕から綺羅々の手を振りほどくと「悪いね、彼女を俺に返して」と言い放ち、薔薇を抱きしめて言った。「待たせてごめん。心配したろ? 不安にさせてごめん」そうやって男は薔薇に謝りながら肩を抱き、綺羅々の前から立ち去った。自分だってどんなに薔薇を好きだっか。ずっと薔薇が人間としての一生を終えるのを待っていたのに。交際をして妻になってもらいたいと思っていたのに。こんな結末が待っていようとは……。思えば思うほどひたすらに奈羅のことが呪わしく、心の中で彼女への憎悪が膨らんでいくのを止められなかった。そして綺羅々は失意のうちに宇宙船に乗船し、金星へと戻って行くのだった。